衣222日本人の死生観と宗教

衣222日本人の死生観と宗教

福岡県教育委員会の文化保護課に明治時代に県庁の近くの福岡県自治会館のある所が官用地で千代柵町だった事について聞いてみた。

 

千代村は明治43年に煙草製造所が開設(大正10年地方専売局)

ここはそれからパピヨンになり、今はブランチだそうです。

初期に人家が多かったのは水茶屋、明治20年頃まで料亭・遊郭、一時さびれて、同34年に検番がおかれ、花柳街。

芸者さんとかがいた所との事で

同36年京都大学福岡医科大学(後の九大医学部)京都も芸者さんが沢山いらっしゃいます。

以前裁判傍聴していた時、病院の運転手さんがフィリピンに偽装結婚に行かれ、若い女性はフィリピンパブで働かれ男性はそのまま病院の運転手さん、女性はフィリピンへ強制送還で女性が泣きながら申し訳ないと法廷で言ってあるのを聞いて、なぜ男性はそのまま病院で働くのか納得いかなかったのを思い出しました。

千代村の歴史とか健康診断について聞いてたら、人類学の話が出て

 

人類学 死生観で検索すると↓出てきました。

 

https://scholar.google.co.jp/scholar?q=%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%AD%A6+%E6%AD%BB%E7%94%9F%E8%A6%B3&hl=ja&as_sdt=0&as_vis=1&oi=scholart#d=gs_qabs&u=%23p%3DMGDOZashJO4J

 

dbpia.co.kr

日本人の死生観と宗教

牧田満知子
「死」 は普遍的な問題でありながら, それを受け止める個々人によりその認識は多様である. この 「死」 の受け止め方の問題, すなわち 「死生観」 は, 民族や宗教, 文化を反映するものであるが, 人類学においては 「喪 (Mourn)」 と 「悲嘆 (Grief)」 という 2 つの概念によって説明されてきた. どの社会においても, 古代であれ近代, 現代であれ 「死」 が悲しく耐え難い出来事であることに変りはないという視点に立てば, 人類学のこの 2 つの概念は現代の死生観を説明する際にも重要なチャートと考えられる.「喪 (Mourn)」 と 「悲嘆 (Grief)」 は 1909 年, ファン․ ヘネップ (A. van Gennep) の The Rites of Passage (『通過儀礼』) にその発祥を見ることができる. ヘネップの議論は 2 年後の 1911 年, ヘルツ (R, Hertz)『悲嘆と喪』 によってさらに展開させられ, その後ターナー (V. Turner) がリミナリティ (境界) という概念を用いてヘネップ, ヘルツらの研究を発展させた. リミナリティとは人が亡くなると一旦リミナル․ ステージ (Liminal stage) に置かれるとする考え方である. 同時にそこは哀悼者と儀礼としての 「喪」 を特徴づける場でもある. 故人と哀悼者の両者は社会から一旦離れ, リミナル․ ステージという 「間」 に置かれ, それを経て再び 「それぞれの社会」 に戻る. 社会を 「去った」 故人はリミナル․ ステージに入り, あの世に移動する. 同じく哀悼者もこの社会から離れ, 一旦リミナル․ ステージに入ること, すなわち喪に服することで 「社会から隔離」 される. 故人が永遠の眠りにつくと, 哀悼者は彼 (彼女) の属する社会に戻り, そして 「喪が明ける」. 故人と哀悼者は一時期同じ旅を旅するのである. このようにリミナル․ ステージが表象するのは 「死」 という現象を即座には受け入れがたい残された人々に, あの世とこの世をつなぐ 「境界」 を想定することで, 緩やかな 「別れ」 を与えることであり, それによって悲嘆の程度を軽減させようとする意図が含まれている.
では現実に 21 世紀の日本において,「死」 はどのように受け止められているのだろうか. 儀礼と化した葬儀による 「あの世」 へのいざないではなく,「今あること」, まさにリミナル․ ステージに移らんとするその際まで人として 「生きたい」 と考えている人は少なくない. 本発表ではそうした潮流の背景に医療のインフォームドコンセントよる 「透明化」 を認め,「ガン告知」 によるホスピス․ ケアの激増と, より良い 「末期の生き方」 を求める在宅死の漸増に焦点をあて, この問題を施設 (特養, ホスピス) と在宅との比較という視座から考察する. 対象者は 「死」 に向き合う終末期の方々, およびそれを支える家族, 医師, 看護師, 介護士らであり, 彼らの直面する 「看取り」「看取られ」 という行為を通して, どのように人は 「死」 を理解し受け入れていくのかというプロセスを分析の素材とする.