衣561-1片峰茂(福岡県公立大学法人評価委員会長)

衣561-1片峰茂(福岡県公立大学法人評価委員会長)

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片峰 茂(かたみね しげる、Shigeru KATAMINE、1950年 - )は、日本の医師、船医、医学者。学位は医学博士(東北大学大学院・1982年)。専門はウイルス学[1]。長崎みなとメディカルセンター・理事長[2]。長崎大学・第14代学長(2008年 - 2017年)。元国立大学協会副会長。

 

研究分野
ウイルス学
熱帯医学
神経科

 

人物編集
長崎県長崎市船大工町に生まれる[3]。実家は1865年創業の薬局。父は医学者として長崎大学に勤務し[3]寄生虫等を研究。長崎大学熱帯医学研究所の2代目所長を務めた[4]。

一人っ子だったため、親元を離れたい思いがあり、県外の高校を受験する親友の影響を受けて、ラ・サール高等学校に進学した[3]。大学は関東か関西の理工学部への進学を希望していたが、当時の社会情勢(学生運動、東大紛争による東京大学の入試中止等)から、地元の長崎大学医学部へ進んだ。
 
略歴編集

1976年、長崎大学医学部卒業。長崎大学医学部附属病院(現 長崎大学病院)で研修医、その後、東京都内の都立病院に内科医として勤務した。しかし医学者としても学びたいと思うようになり、東北大学大学院医学研究科へ進学。著名なウイルス学者・石田名香雄の研究室に入る[3]。

1982年、東北大学大学院医学研究科 博士課程修了[3]。同年5月より長崎大学水産学部練習船「鶴洋丸」の船医として勤務。同年10月より長崎大学医学部附属病院に勤務した[3]。

1983年、長崎大学医学部・助手。1985年11月アメリカ国立がん研究所・国際研究員[3]。1989年長崎大学医学部・講師、1991年同助教授、1998年同教授に昇格した[1]。

2002年から2004年までは、長崎大学・副学長を務めた。

2008年、学長に就任[5]。学長就任は長崎大学の歴史では最年少だった[5]。以後、2017年、学長を退任するまで3期(9年間)、長崎大学学長としては歴代最長の任期を務めた[5]。在任中、核兵器廃絶研究センター(RECNA)や多文化社会学部を創設した[5]。自身の研究ではプリオンを主な研究対象とした[5]。2014年国立大学協会副会長[6]。

 

脚注より

長崎大学
片峰 茂 学長
世界レベルのグローバルヘルス研究、長崎大しかできない人材の養成、地域貢献で、大学の高度化・国際化をはかる

江戸時代の出島以来の日本の近代化推進の伝統や原爆被爆の歴史の中から、感染症放射線障害研究、長崎県ならではの海洋・水産学などを学際的に高度化を図ることで世界をリードする国際化を進める長崎大学。2006年に就任された片峰茂学長は、5年前という早い時期からアクティブラーニングによる全学的な一般教育改革を進めて、長崎大学ならではの学生の育成を図る先頭に立っておられます。
今回は、長崎大学生協理事長の荒川修先生(教授)より片峰学長にインタビューをお願いしました。