衣757-2細川内閣、ガット、ウルグアイ・ラウンドの緩和に公共事業!?
政治はさっぱりわからないので、ウィキペディア見てみました。
ウルグアイ・ラウンド ウィキペディア
ウルグアイ・ラウンド(Uruguay Round、1986年 - 1994年)は、世界貿易上の障壁をなくし、貿易の自由化や多角的貿易を促進するために行われた多国間通商交渉。
ウルグアイの保養地であるプンタ・デル・エステで1986年に開始宣言されたことからこの名がついた。
1944年のブレトン・ウッズ協定によって成立したGATT・IMF体制の下に行われた通商交渉としてはケネディ・ラウンド、東京ラウンドと並び知られている。
日本におけるウルグアイ・ラウンド合意の影響を緩和するため、細川内閣は事業費6兆100億円、国費2兆6,700億円のウルグアイラウンド農業合意関連国内対策事業費を予算執行した[2]。しかし、予算の5割強は農業農村整備事業(土地改良事業などの公共事業)に用いられ、日本の農業強化にはならなかった。JC総研の今村奈良臣所長は「その殆どは色々な建物や施設に使われたが、多くは朽ち果てているか使っていない」と述べている[3]。
細川内閣(ほそかわないかく)は、衆議院議員、日本新党代表の細川護熙が第79代内閣総理大臣に任命され、1993年(平成5年)8月9日から1994年(平成6年)4月28日まで続いた日本の内閣である。
非自民・非共産8党派の連立政権である細川内閣の発足により、1955年(昭和30年)の結党以来、38年間単独政権を維持し続けた自由民主党(自民党)は初めて下野することになった(すなわち55年体制の崩壊である)。
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次の総理大臣が羽田孜さん1994年、平成6年4月28日から平成6年6月30日まで
次が村山富市さん 1994年、平成6年6月30日から1996年、平成8年1月11日まで
1995年に阪神淡路大震災とオウムのテロ
地元は大分
前職 | 大分県漁村青年同盟書記長 |
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