衣844関係『孟子』VS『告子』
まるでアメリカ大統領選挙の二大政党の候補者どうしのようなもので見解がことごとく相反して対立
『告子』という書物は残っていない
残っていたら、人類永遠のベストセラー
告子
「食欲と性慾とは生まれながらにもつ人間の本性
食を好み異性を愛する気持ちは仁の本(もと)
人間の心の中に内在する、決して外界からくるものではない
義は
物事を判断して宜しく処置していくのだから、自分以外の外的条件によるもので、心に内在しない。」
「どういう根拠(わけ)で、仁は内在的(こころのうち)なもので義は外的(こころのそと)なものだといえるのか。」
告子
「自分より年上の人を年長者として尊敬するのは、義の行為(おこない)たが、
年長者という外的条件を具えているから、敬意を払うまで
年長が決して自分の内にあるのではない。
(ちょっと一言
告子の子は子供の子だけど先生の意味だよ?)
話を戻しまして
それはちょうど
相手の色が白から自分も彼を白いというようなもの
つまり『彼は白い』という自分以外の外的条件に従っているに過ぎない。
だから義は外的条件による」
孟子 反駁(はんばく)
「〔いや、年上と白いとでは、範疇(はんちゅう)(カテゴリー)が〕まるでちがう。
なるほど、馬の白いのを見て白いというのは、人が色白いのを見て白いというのと、なんら違いはない。
だが、老いぼれ馬を見てずいぶん年をとっているなあと思う気持ちと、老人を見て年長者として尊敬する気持ちとでは、果たして違いはないものだろうか。
必ず大きな違いがあるはずだ。
その上よく考えてもごらん。いったい年をとっているという事実(こと)が義なのか。
それとも年長者として尊敬する心が義なのか。〔尊敬する心が義ならば、義は内だといわねばなるまい〕。」(『孟子 下』告子上、ニニ六~ニニ七頁)
↑これ科学技術問題関係ないかなあ?
世の中さっぱりわからないんてすけど
なんだか勉強しても、わかりそうにないので
神さま仏さまご先祖さま守護霊さまにお祈りして信じる心を保つ
チャンネルの変わる映像のような世界は気にしない
座禅の深い呼吸で
仕事と洋裁に熱中する