1931年2月3日中華民国生まれ
お父様 久保木仙蔵 お母様 よし
お父様は満州国の銀行員
その外部企業 立花産業の取締役
修己さんは
立正佼成会会長秘書から、
1962年(31歳)
立正佼成会を去り、「世界基督教統一神霊協会」(統一教会)に入教(立正佼成会の庭野日敬会長(当時)の指示で統一教会の教えを学んでいた青年部50名ほどが統一教会(統一協会)に転じた)[10]。
1964年(34歳)
統一教会の初代会長就任。
1971年(40歳)
5月14日 中華民国(台湾)の総統、蔣介石と会談。ローマ教皇パウロ6世と会談。
1973年(43歳)
全国124カ所で「救国の予言」と題して講演。
11月23日 統一教会の教祖、文鮮明、韓鶴子夫妻と教団幹部( 李相軒、金栄輝)らと共に統一教会本部で元首相、岸信介と会談。
1998年(67歳)
5月 脳梗塞で倒れる[2]。
12月13日 午前1時59分に死去。
2004年 7回忌にあたって遺稿集『美しい国 日本の使命』が出版される。
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67歳という若さでお亡くなりになりました。
「日本のモーセ」と言われていたそうです。
「聖書物語」によるとモーセの墓は何処にあるかわからない状態
父母を敬い、嘘をつかず、他人のものを取らない
とかありました。
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