衣470-3スウェーデン、第二次世界大戦中、隣国のデンマークとノルウェーがドイツの占領下「バルト海のほとりの人びと」より
「バルト海のほとりの人びと」17ページ↓
スェーデンの法律は伯父と姪の結婚許してないので(また法律違反だ!)、二人でドイツのハンブルグに行って半年住み、ドイツの市民権を得てドイツの教会で挙式。
新婚旅行は長崎へ
ヘルマン56歳 イーダ24歳、1888年
一人娘のイネツが生まれたのが1895年(7年後。ヘルマンさん63歳 イーダさん31歳)
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「バルト海のほとりの人びと」電車の中でパッとページを開くと、82ページ↓
スウェーデン、第二次世界大戦中、隣国のデンマークとノルウェーがドイツの占領下
北からはソ連の脅威、南からはドイツの脅威を受け通しであったから、
国防のために高度の軍備をする必要があったので、国民は十分納得の上で多額の税金を分担してハラハラと暮らす。
それでヨーロッパに平和が到来したとき、スウェーデンの社会民主労働党の政府はその喜びを
「従来の国防費分の税金は減税しない。その分を国民すべてを対象とする社会福祉政策に回す」という宣言で表現。
困窮者を援助し、国民一般の生活水準を貧困のない程度に底上げしてから、第三番目の国民全般の自由平等の福祉政策に取り掛かる。
研究所↓
(戦後新生日本の復興のため参考とすべきスウェーデンを研究する意義を理解して集まったメンバーが手始めとして出版したのが『スウェーデンー自由と福祉の国ー」(1971年 芸林書房)松前重義会長)
研究所はその経過を追いながら、新しい政策と制度をその都度報告。
それにスウェーデンは戦時中、中立で通したため、国土に戦火は及ばず、戦後すぐさま、勝っても負けても戦災の為に荒廃した他国の復興を援助した。
そのためスウェーデンの国富は著しく豊かになって、世界に誇る福祉国家建設に向かって驀進(ばくしん)していった。
ちょうどその時期に、行政と外交を除く知的文化方面での日本との交流の一拠点として研究所は創設された。
なんだか難しくてよくわかりませんが、
スェーデンの法律は伯父と姪の結婚許してないので(また法律違反だ!)、二人でドイツのハンブルグに行って半年住み、ドイツの市民権を得てドイツの教会で挙式。
新婚旅行は長崎へ
ヘルマン56歳 イーダ24歳、1888年
一人娘のイネツが生まれたのが1895年(7年後。ヘルマンさん63歳 イーダさん31歳)
を読んだ後で、約半世紀後の第二次世界大戦では隣国はドイツに占領されても中立を保てた国、隣国より多少大きいでしょうか?
そして、他国の復興を援助したら、どうして豊かになるのか?
よくわかりませんが、考え中?!