衣495-1足尾銅山の銅瓦が神社仏閣やお城に使われていたようで、仏教について調べてみました。

衣495-1足尾銅山の銅瓦が神社仏閣やお城に使われていたようで、仏教について調べてみました。

 

日本に四世紀の終わりから大陸から人が渡ってきて、鉄製品を作る技術などが伝えられ、

聖徳太子が仏教の教えをを重んじたようです。

十七条憲法 - Wikipedia

聖徳太子の17条の憲法、難しいので2だけ見ると↓の二日の所

夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。

一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。

二曰、篤敬三寶。々々者佛法僧也。則四生之終歸、萬國之極宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤惡。能敎従之。其不歸三寶、何以直枉。

二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは(ほとけ)・(のり)・(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉(ま)がるを直さん。

[現代語訳]
まごころをこめて三宝をうやまえ。三宝とはさとれる仏と、理法と、人びとのつどいとのことである。それは生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国々が仰ぎ尊ぶ究極の規範である。いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないことがあろうか。人間には極悪のものはまれである。教えられたらば、道理に従うものである。それゆえに、三宝にたよるのでなければ、よこしまな心や行いを何によって正しくすることができようか。

つづく