衣92捕まった二宮金次郎?金治郎?

衣92捕まった二宮金次郎?金治郎?

ウィキペディアより

二宮 尊徳(にのみや そんとく)は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家である。自筆文書では金治郎(きんじろう)と署名している例が多いが、一般には「金次郎」と表記されることが多い[1]。また、諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と読むが、「そんとく」という読みで定着している[2]。

 

生涯編集
相模国足柄上郡栢山村(現在の神奈川県小田原市栢山(かやま))に、百姓二宮利右衛門[注釈 1] の長男として生まれる。母は曽我別所村・川久保太兵衛の娘・好(よし)。尊徳の弟には二宮三郎左衛門の養子・友吉(常五郎)と富治郎がいる。


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私の口の中の事情から、植物のアロエを探してホームセンターとか回ってて出会った二宮金次郎像?金治郎?この先、少し登ったところが九州大学伊都キャンパス

バックのポケットに入れてたはずのアロエがなくて、実家に植えとけばいいと思い探して回りましたが結局ありませんでした。

 

お陰様で家で読書せず、地域を見て回れて、神さま仏さまご先祖さま守護霊さまのお陰さまです。

 

↑多分、二宮金次郎の像があって、あとから冊ができたのだと思います。

 

元岡小学校の門の所

開校百年愛郷碑の隣です。

反対側の隣の小さな大理石みたいなのは

寄贈中野正剛とあり↑の写真

 

中野正剛

ウィキペディアによると

生い立ち・学生時代編集
福岡藩士・中野泰次郎とトラの長男として、福岡県福岡市西湊町58番地(現・中央区荒戸)の伯父・中野和四郎宅で生まれる。幼名は甚太郎。中野家は代々福岡藩の御船方であり、父・泰次郎の代に分家し福岡市西町(現・中央区今川)で質屋を家業としていた。母・トラは福岡県糸島郡元岡村(現・福岡市西区元岡)で醤油醸造業を営む黨又九郎の長女。

幼少時より腕白坊主で、福岡師範付属小学校時代は同級生に緒方竹虎の兄・大象がいた[1]。 14歳で福岡県中学修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)に進学したが、幼少時から家業の質屋を毛嫌いし“質屋の甚太郎”と呼ばれるのが不快で、在学中の1903年明治36年)に自ら正剛(まさかた)と改名する[1]。自分の生涯を正しく剛毅に行く抜こうという意志の表れだったが、“まさかた”と呼んでくれたのは母親だけで周囲は皆“せいごう”と呼んだ[1]。

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