衣780-4-1そういえば沖縄な人がこの世は映像みたいなものだとネットで言ってた!!!!
沖縄の歌のグループ
フィンガーファイブ5人の兄弟、妹もいるグループ
歌は
学園天国だったかな?
間違った、調べたら
「恋のダイヤル6700」でした!
5人みんなで
リンリンリリン リンリリンリン リンリンリリーン リリリリリン
(ボーカルのトンボメガネの晃(アキラ)さんの歌↓)
明日は卒業式だから
これが最後のチャンスだよー
指の ふるえ を おさえつつ
僕は ダイヤル回したよ
君のテレホンナンバー
シックス セブン オー オー
(妹の妙子(たえこ)さんの歌↓)
ハロー
あなたが好き
死ぬほど好き
この愛 受け止めてほしいよー
何故か、思い出しました!
作詞Yu Aku 作曲 Tadao Inoue
とあるので、作詞は阿久悠さんだと思います!
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生い立ち編集
米国占領下の沖縄で、父親が経営する米兵相手のAサインバーでアメリカのロックやポップスに親しみ[3]、当時小学生の長男・一夫、次男・光男、三男・正男が「オールブラザーズ」としてバンド活動を始める。晃は「自分と妙子は後から無理やり参加させられた」と述べている[要出典]。英語の歌詞は聞こえた音をカタカナでメモし、キーボードは紙に書いた鍵盤で練習した。
父のバーはのちに他の経営者の手に渡るが、21世紀初頭まで存在[要出典]した写真がテレビや書籍で紹介されている。
(1970年前後で米軍基地をまわる慰問コンサート?ベトナム戦争?!日本人がぼーっと平和だと思っていた時!)
オールブラザーズからベイビー・ブラザーズ、そしてフィンガー5へ編集
オールブラザーズは沖縄のテレビ番組のコンテストで優勝し、テレビ局のプロデューサーに薦められて1969年に東京都東村山市(志村けんの出身地)に移住する[3]。上京した一家は「歩くのが早い、しゃべるのも早い、お札の色が緑(米ドル)でない」ことに驚いた。母が自ら車を運転し、日本中の在日米軍基地を回って慰問コンサートを行いながらデビューの機会を待った。
1970年にバンド名をベイビー・ブラザーズに変えて、南沙織より1年早くメジャーデビューするも売れずに苦しい時代を過ごし、転校した学校で「売れない歌手」と悪口も言われた[3]。妙子はそれまで着たことがない琉球王朝時代の服を着せられ、晃はその時期に出した曲にタイトルさえもう覚えていないものがあるという。
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デビュー曲?!
「個人授業」
作詞 阿久悠 作曲 都倉俊一
森昌子の「せんせい」
のように
先生は ひらがな
せんせい せんせい
と2度つづき
数回でてくる!
ええっ!
山口百恵さんも歌ってた!
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