衣844-1布施辰治 ウィキペディアより

衣844-1布施辰治 ウィキペディアより

写真があり、どこの国の服かわからない服を着てあるような?

 

布施 辰治(ふせ たつじ、1880年明治13年)11月13日[注 1] - 1953年(昭和28年)9月13日)は、宮城県出身の弁護士・社会運動家である。日本人として初めて大韓民国建国勲章を受章した。

 

った日本共産党の弁護人として法廷に立ったが、1929年には弁護活動の「逸脱」を理由に自身が東京控訴院の懲戒裁判所に起訴され、1932年に大審院(現在の最高裁判所)の判決によって弁護士資格が剥奪された[13]。さらに翌年には所属していた日本労農弁護士団が一斉検挙され、布施は被告団のうちで治安維持法違反で実刑判決を受け、千葉刑務所に1年余り下獄した。戦後、布施は自身が創立に関わった自由法曹団の復活に際しその顧問となった。1949年に三鷹事件が発生した際には、主犯とされた竹内景助が自白を維持していた頃から、その自白は偽りであるとして竹内の無実を主張したが、他の弁護士との衝突が激しくなり弁護団を脱退した。その後、無実を訴え始めた竹内の弁護に乗り出す姿勢も見せていたが、ほどなく1953年9月13日に癌で病死した[14]。布施は東京都豊島区の常在寺(日蓮正宗)に葬られた。常在寺境内には、彼の座右の銘とされた「生きべくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために」を刻んだ顕彰碑も建立されている。

思想編集
刑事弁護士としては、被告人の納得しない刑罰に道徳的効果はない[15]、死刑とは秩序維持のための国家によるテロである[16]、などの立場から死刑廃止を主張していた。また吉野作造民本主義に影響を受け、一般民衆の意志の代表としての陪審制を支持した[17]。

平和主義者であったため軍人を嫌ったが、質素と謹厳を旨としていた乃木希典のことは教育者として尊敬していた[18]。

天皇制については廃止されるべきとしていたが、国民に広く支持されているとして制度の人為的な解体をよしとせず[19]、皇統の断絶を待っての自然消滅を望んだ[20]。また昭和天皇個人のことはポツダム宣言の受諾により本土決戦を回避したとして高く評価し[21]、1946年3月1日には皇居前広場で感謝集会を主催している[22]。
特技と病編集
検事を辞任して以降に進路に悩んだ一時期は、将棋の棋士を目指したこともあった。最終的にプロ棋士一歩手前の三段まで昇級した[23][24]。
先天性の色覚異常を持っていた[25]。

『不況対策法律叢書5 小作争議にたいする法律戦術 小作争議をいかに闘ひぬくか』(浅野書店 1931年)
『不況対策法律叢書6 支払命令・仮差押・競売にたいする法律戦術 支払命令・仮差押・競売をいかに闘ひぬくか』(浅野書店 1931年)
『不況対策法律叢書4 電澄・ガスにたいする法津戦術 電燈・ガス値下をいかに闘ひぬくか』(浅野書店 1932年)
『不況対策法律叢書7 裁判と調停にたいする法律戦術 裁判と調停をいかに闘ひぬくか』(浅野書店 1932年)
『不況対策法律叢書8 解雇・退職手当にたいする法津戦術 解雇・退職手当をいかに闘ひぬくか』(浅野書店 1932年)
三陸地方震災罹災者諸君に告ぐ!』(日本労農救援会出版部 1933年)
『電澄争議の新戦術』(希望閣 1933年)
『獄中の体験を述べる 親愛なる労救の同志諸君に』(日本労農救援会本部書記局 1933年)
『法廷実話 審く者、審かれる者』 春洋社、1938年。
『運命の勝利者・朴烈』(世紀書房 1946年)(張祥重、鄭泰成との共著[注 3])
『打倒?支持?天皇制の批判、憲法改正(私案)』(新生活運動社 1946年)
『住宅の人民管理』(全日本借家人組合中央本部 1949年)
『有罪か無罪か、大衆の裁きに訴う 三タカ事件の紙上弁論』(日本労農救援会 1950年)
『公安条例の廃止の提唱 一問一答』(公安条例廃止期成同盟 1951年)
『布施辰治対話抄集』(布施辰治記念会 1954年)
『布施辰治著作集(全16巻と別巻)』(ゆまに書房 2007-08年)(明治大学史資料センター監修)

参考文献編集
布施柑治[注 4] 『ある弁護士の生涯』 岩波書店<岩波新書>、1963年。 ISBN 978-4004100584
大石進[注 5] 『改訂版 弁護士布施辰治』 西田書店、2011年。 ISBN 978-4888665247
明治大学史資料研究センター監修 『布施辰治研究』 山泉進、村上一博編、日本経済評論社、2010年。 ISBN 978-4818821446
本多久泰 『全民衆の味方 吾等の弁護士 布施辰治(明治篇)』 火花社、1930年。
高史明 など 『布施辰治と朝鮮 普及版』 高麗博物館、2011年。 ISBN 978-4862860507
旗手, 勲「大正期三菱の不動産経営」『経済論集』第142巻、愛知大学経済学会、1996年、35-82頁。