衣874関係、ずるっこソ連のポツダム宣言、

衣874関係、ずるっこソ連ポツダム宣言

世界大百科事典

ポツダム宣言
ポツダムせんげん
 
アメリカ,イギリス,中国3国首脳により1945年7月26日に発表された日本に対する共同宣言。ベルリン郊外のポツダムで開かれたトルーマンアメリカ大統領,チャーチル・イギリス首相,スターリンソ連首相による3国巨頭会談で決定されたのち,蔣介石中華民国総統の同意をえて米英中3国首脳の名で発表された。ソ連は日ソ中立条約が有効期間中であったため署名せず,45年8月8日の対日宣戦布告ののちこの宣言に署名した。ポツダム宣言は,カイロ宣言(カイロ会談,1943年11月27日)とヤルタ協定(1945年2月11日)につづき,連合国首脳が太平洋戦争の終結条件と戦後の対日処理方針を決定したもので,その大要は次のとおりであった。(1)日本軍国主義の駆逐および軍国主義指導者の権力と勢力の永久除去,(2)〈平和,安全及正義の新秩序〉が建設されるまでの連合国による日本占領,(3)日本国の主権の本州,北海道,九州,四国および連合国が決定する諸小島への制限,(4)日本国軍隊の完全武装解除と兵士の復員,(5)戦争犯罪人の処罰と日本国内における言論・宗教・思想の自由および基本的人権の尊重,(6)軍需生産の禁止,(7)前記諸目的が達成され,日本国民の自由意志による平和的政府が樹立された後における占領軍の撤退,(8)日本国軍隊の無条件降伏。

 7月28日軍部主戦派の圧力に屈した鈴木貫太郎首相が,この宣言を〈黙殺〉すると言明したため,アメリカはそれを口実に広島と長崎へ原子爆弾を投下し,ソ連の参戦を経たのちの8月14日,日本は御前会議における天皇の〈聖断〉によりポツダム宣言の受諾を決定した。敗戦後における日本の民主的改革は,ポツダム宣言の精神に基づいて実施されたが,連合国の日本占領がアメリカによる事実上の単独占領となり,1946年3月チャーチルの〈鉄のカーテン〉演説を契機に米ソの冷戦が激化するなかで,ポツダム宣言の精神はしだいに歪曲され,日本の民主化は貫徹されずに終わった。
[木坂 順一郎]