衣112最後の審判、私審判?公審判?
「ニホンという病」P73
何だか良くわからないけど、
オレオレ詐欺問題を思ったりします?
養老孟司先生
日本に最後の審判なんてない、
初めから
俺とは何だって。
20歳の俺か、
80歳の俺かって。
最後の審判の社会は、
人間の一生を通じて一貫した私というものがなければいけない。
3歳の私が裁きを受けるのか、
20歳の私か、
50歳の私か、
80歳を過ぎてぼけた私か。
その人のやったことの良し悪しは、
この世が終わらないと分からない。
ー
学校
道徳って科目があるのに
(教科書に)
宗教が一切ない。
宗教がない社会で、
倫理、道徳って成り立つのか?
ー
名越康文先生
日本人にとって自我とは何かということ、
もうちょっと一般化してほしい。
ー
ー
養老孟司先生
今の時代、子どもがハッピーでないのはハッキリしている。
そうてなければ、自殺が若い人たちの死因のトップなんてあり得ない、
10代20代30代。
80代が元気な世の中じゃ話にならない。
ー
名越康文先生
その通りですが、
私の周りの80代はどこか違う。
戦後ずっと人間が小さくなってきた、
80代の人は地に足が着いてるというか、開き直ってるというか。
どうしようもないと思ったらパッと開き直る。
戦争体験あるからか、
戦後、教育から何から180度変わった、
人生の初期に焼夷弾バンバン落とされた経験とどう関わっているのか。
離れの良さというのはあるような気がする
ー明治維新、戦後を通じて、日本人には常に自己の確立というテーマがつきまとう、
養老孟司先生
もともとないんです。無我ですよ。
名越康文先生
無我が滅私奉公へ、まずいんじゃないか。
無我になるなら大自然に向かってなるべき。木と一体となるとか。
何だか良くわかりませんが、
木と一体となるのと
オレオレ詐欺は違いますよね!