衣852関係?「無極而太極」 

衣852関係?「無極而太極」 

入門朱子学陽明学の本より

「無極而太極」無から有が生まれる

道家的(非儒家的)言葉

宋学においてはアクロバティックに重要な核心的キーワード

この核心で原爆の事を思いました。

 

濂渓(れんけい)先生曰、無極而太極、

訓読み

濂渓(れんけい)先生曰く、無極にして太極なり。

 

哲学的にきわめて重要な言葉

 

「にして(而)」

さまざまな議論

「から」と解釈すれば

道家のように

「無から有が生まれる」になってしまう。

 

儒家は絶対認められない

「であって」「でありながら」が穏当

 

太極は朱子学では理を指す

理は有の性格を持ちながら無の性格も持つ

理が一個の実態としての有であるから、万物に浸透できないから。

 

理が無の性格も持つ(無そのものではない)からこそ、万物(気)に浸透できるのである。

このような意味で「無極而太極」というきわめて道家的(非儒家的)な言葉が、

宋学においてはアクロバティックに重要な核心的キーワードとなる。

難しいなあ?!