衣840互いに愛し合わなければ、私たちの前にあるのは破滅

衣840互いに愛し合わなければ、私たちの前にあるのは破滅

でも「宇宙人と地球人の解体新書」では、宇宙的に言うと愛は自分から出て自分にしか戻らない、みたいなこと書いてあったような?

RCサクセション忌野清志郎さんも「愛し合ってるかい」とか言ってて法螺貝ふいたりしてたりしたけど、もうなくなられました、

https://jelc.or.jp/%E3%82%8B%E3%81%86%E3%81%A6%E3%82%8B2016%E5%B9%B48%E6%9C%88%E5%8F%B7/

説教「傷ついた癒し人」 抜粋

71年前、アメリカは人類史上初の原子爆弾を広島と長崎に落としました。この原爆を積んだ爆撃機は、戦争を終結させる平和の使者として、従軍チャプレンによって祝福祈祷を受けて送り出されていきました。悲しいことに、広島に飛び立ったエノラ・ゲイを祝福したのはルーテル教会の牧師。長崎の場合はカトリックの神父でした。浦上天主堂の真上で原爆が炸裂した時、礼拝堂では罪の懺悔告白の最中でした。
 人間同士の憎悪や不信、恐怖の結晶が原爆です。その破壊力は天地万物をお創りになり、命を生みだされた神さまへの反逆、その罪の深さを表しています。
 今年5月、現職大統領として初めてオバマ氏がヒロシマを訪問しました。そこで誠意あるスピーチをしましたが、現実は大統領が絶えず携行する「核爆弾のスイッチ」を平和記念公園に持ち込み、「核なき世界の実現は、私の生きている間には無理かもしれない」と告白せざるを得ませんでした。ここに武力を背景とした「パックス・アメリカーナアメリカの平和)」の限界があります。
 主イエスは最後の夜、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15・12)と命じられました。なぜなら、もし互いに愛し合わなければ、私たちの前にあるのは破滅だからです。私たちはヒロシマナガサキをはじめとする、戦争による多大な犠牲の痛みを共に担うことへと十字架の主によって招かれています。それは日本人だから、広島に住んでいるからということではなく、この痛みを通して、他国の、そして他者の悲しみ、苦しみ、傷を負っている人たちと連帯することを、主が求めておられるからです。