衣985関係、原爆は祝福されていないと思う、

衣985関係、原爆は祝福されていないと思う、

原爆を乗せた飛行士のエノラ・ゲイさんが、神父さまに祝福されて送り出されたお話、

 

SIMULATIONとでましたが、シミュレーションでもダメだと思うけど?

 

トムとジェリーのマンガじゃないんだし、

 

石垣りんさんの詩に、みんな死んじゃって、飛行士だけになったのがあったと探すと、「原子童話」でした、

 

だから、不作為問題はもう少し続けて見ようと思います、

石垣りんさんの

挨拶   原爆の写真によせて

職員組合に頼まれて作った詩だったんですね、↓

 

「実際、私も勤め先の職員組合書記局に呼ばれ、明日は原爆投下された8月6日である。朝、皆が出勤してきて一列に並んだ出勤簿に銘々判を捺す、その台の真上にはる壁新聞に原爆投下の写真を出すから、写真に添える詩を今すぐここで書いてもらいたい。と言われ、営業時間中、一時間位で書かされたことがありました。」

挨拶   原爆の写真によせて

あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二五万の焼けただれのひとつ

すでに此の世にないもの

とはいえ
友よ

向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の後もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を

その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ

地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか

しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる

一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く、私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。

光村図書中3教科書で扱っているのは『挨拶 原爆の写真に寄せて』という
石垣りんさんの詩です。
この詩が書かれたのは昭和27年(1952)8月5日。
詩が生まれた経緯については石垣りんさん本人の文章があります。紹介しましょう。

「実際、私も勤め先の職員組合書記局に呼ばれ、明日は原爆投下された8月6日である。朝、皆が出勤してきて一列に並んだ出勤簿に銘々判を捺す、その台の真上にはる壁新聞に原爆投下の写真を出すから、写真に添える詩を今すぐここで書いてもらいたい。と言われ、営業時間中、一時間位で書かされたことがありました。」
「題名は、友だちに「オハヨウ」と呼びかけるかわりの詩、という意味で「挨拶」としました。あれはアメリカ側から、原爆被災者の写真を発表してもよろしい、と言われた年のことだったと思います。はじめて目にする写真を手に、すぐに詩を書けという執行部の人も、頼まれた者も、非常な衝撃を受けていて、叩かれてネをあげるような思いで、私は求めに応えた。」

ですから、本来、写真とセットで読まなければならない詩です…が
検索した写真がむご過ぎて、こちらには持って来ませんでした。
授業で扱う時は、手持ちの原爆ドームの写真集を持っていき、見せるようにしています。