衣681-1-2第二次世界大戦のマンガは1950年後半から、1955年東海村原子力研究所

衣681-1-2第二次世界大戦のマンガは1950年後半から、1955年東海村原子力研究所

 

表1のマンガ

0ゼロの言葉が多いな

と思い

福岡市教育委員会

学校対応支援、いじめゼロサミット等

の仕事があることを、思い出しましたが、

 

給食問題で

食べられない生徒が弁当持ってくるのを問い合わせたら

「弁当食べられていいなあ」

のコメントを頂き、

みんなと同じ物が食べられなくて、肩身の狭い思いをしている生徒さんには

いじめとも取れる発言ではないかと思った事を思い出しました。

表1問題です。

1950年後半からのジャンル誕生との事で

原発が核の平和利用と言われ出した頃ではないかと調べると

1955年.茨城県東海村原子力研究所を設置

原子力発電の始まりになります。

 

マンガの作家さんは

大半が20代前半の青年

ー戦時中に育った世代ー

主として子ども時代に戦争を経験した若者たち。

著名な漫画家で戦地勤務を経験したのは水木しげる(1922年生まれ)だけで、彼はラバウルでの戦闘中に片腕を失った。

とあります。

読者も、子どもと青年

ー戦後に生まれ育った世代ー

が中心。

 

表1

28の戦争マンガのうち、

24は主に空中戦

海上戦(項目番号6.14.17)

地上戦(項目番号23)

1964年の「白い旗」水木しげる、ああ太平洋に掲載

地上戦を取り上げている作品を別にすれば、日本の兵士たちの勇猛果敢な戦いぶりを強調している。

 

これらの結果にしたがって、上述の英雄的戦闘型の語りをこの時期における「覇権的語り」と呼ぶことにする。

 


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