衣366結婚と姓の問題
私は離婚しても、もと夫の姓を名乗っている
私の場合、選挙に出たりとかの問題もあってで、今は社会問題を考える上でも元夫の姓の方が良いと思ってます、
朝ドラで、再婚しても元夫の姓を名乗っている人がいたと調べたら
黒柳朝さんと思ってたら違ってて
吉行あぐりさんでした。
ウィキペディアより
来歴[編集]
岡山県岡山市出身。岡山県立第一岡山高等女学校在学中に国内で流行していたスペイン風邪で父と姉を亡くし、1923年(大正12年)に15歳で作家・吉行エイスケと結婚[2]。翌1924年(大正13年)に長男を出産した後、日本の美容師の草分け山野千枝子のもとで2年間修行、1929年(昭和4年)に独立して、東京市麹町区土手三番町(現・千代田区五番町)・市ヶ谷駅前に村山知義設計によるダダイスム建築の傑作「山の手美容院」を開店[3]。1940年(昭和15年)、夫・エイスケと死別する。その後、1949年(昭和24年)辻復(あきら)と再婚(復は1997年没)。「山の手美容院」は1944年(昭和19年)、建物疎開の対象となり、強制取り壊しとなって閉店。
1952年(昭和27年)、中断していた美容室を「吉行あぐり美容室」の名称で再開。1980年(昭和55年)には再開発で建てられた五番町グランドビル1階に吉行あぐり美容室を移転。顧客には秩父宮雍仁親王妃勢津子もおり、1995年(平成7年)の妃薨去まで担当していた[2]。