↓まさに、伊藤千代子先生と告発者がイジメられてる感じだ!
静岡県上野村村八分事件(しずおかけんうえのむらむらはちぶじけん)は、1952年に静岡県富士郡上野村(現: 富士宮市)で発生した、不正選挙の告発に端を発し、告発者一家が村八分にされた人権侵害事件。
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事件の経緯編集
発端
上野村では、1952年以前から組織的な替玉投票が公然と行われていた。隣組(同村では、戦後も隣組が維持されていた)の組長が各家庭を訪問し、「棄権するなら代わりに行ってくる」と言って半ば強制的に入場券を回収したり、「棄権する人がいたら組長宅まで入場券を持ってくるように」と記した回覧板が廻されるなどして、「棄権防止」という名目のもと、入場券が集められた。即ち、こうして回収された入場券で村の有力者が何度も投票していたのである。しかし、選挙管理者はこれを黙認しており、村民もこうした行為に何の疑問も抱いていなかった[1]。
同村在住の中学生・石川皐月[2](後の加瀬皐月、1935年5月11日に出生[3])は、事件の2年前の1950年6月に行われた第2回参議院議員通常選挙の際にも同様の不正に気付いており、こうした風潮に憤りを感じていた。そこで、こうした不正選挙を問題提起するため、在校していた上野中学校(現在の富士宮市立上野中学校)の学内新聞「上野中学新聞」に、替玉投票を告発する文章を掲載した。しかしこの時、学校側は全生徒から配布された新聞を回収すると、全て焼却してしまった[1]。
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村八分編集
選挙が終わって暫く経った日、石川は路上で同村の女性に呼び止められた。そして「今日十何人もの人が警察に呼ばれた。まだ皆帰ってきていないが、帰ってきたら皆してお礼に行くそうだ」と報復のお礼参りが計画されていることを仄めかされ、「学生なのだから、他人を罪に落として喜んだり、自分の住んでいる村の恥をかかせることが良いことか悪いことかくらい分かるだろう」と、あたかも不正選挙を告発することが悪であるかのように主張された[1]。