衣424関係,田母神さんは、田んぼの話してほしい、絶滅危惧種のメダカを守る会のリーダーになって頂きたい!
生い立ち[編集]
福島県郡山市田村町の農村に生まれる[6]。その後地元の中学校をへて福島県立安積高等学校へ進学。1967年(昭和42年)3月、福島県立安積高等学校を卒業。防衛大学校に入校し、1971年(昭和46年)3月に卒業(第15期、電気工学専攻)。
田母神論文問題による更迭以後[編集]
- 2008年
-
-
照
-
- 2009年
- 2016年
-
核武装[編集]
2004年9月15日、アパグループの会合「日本を語るワインの会」に航空総隊司令官(当時)として出席[注 1]し、「中国に対抗する勢力を作り、それを中国に認めさせるためには、日本が自立した国となり核武装を行うことが必要なのかもしれない」、「最初から『日本は核武装を絶対しない』と宣言するのは馬鹿げたことだ」と発言[34][注 2]。
『WiLL』への寄稿では、「NATOの枠組みの中で行われ、NPT体制下でもすでに機能しているニュークリア・シェアリング・システムは、日本の国状にあった方法であり、『核をシェアできないなら、日本は独自で核を持つぞ』とアメリカに迫る交渉カードになる」と論じた[35]。
2009年8月6日に広島県で開催された講演「ヒロシマの平和を疑う」でも、「核兵器を廃絶しても平和が来るとは思っていないし、核廃絶自体も現実的には困難だと思う。」という認識を示し、「核兵器は非常に悲惨な被害を及ぼす。それゆえ双方が報復を恐れる。核戦争には勝者はいない。つまり核兵器は先制攻撃に適さず、あくまでも報復の恐怖を背景とした抑止の兵器である。」、「日本は核保有を議論する事すら許されないが、3度目の核被害に遭いたくないから核武装をするという論理はおかしくない。当然アメリカや中国は反対するだろうが、それに対し粘り強く交渉し勝ち取っていくのが外交である。」、「核の悲劇を繰り返さないために、日本は核武装すべき」と主張した[36]。
核兵器禁止条約には「核廃絶は平和ではなく戦争に繋がると主要国の指導者は理解している。核保有国が参加していない以上日本も参加すべきでない」と否定的[37][38]。
クラスター爆弾[編集]
空幕長時代の2007年5月25日の定例会見で、クラスター爆弾は日本の長い海岸線の防御に有効であり、防衛手段として必要と発言。クラスター爆弾は子爆弾を多数含んでいるため、使用後に不発弾として残る事が問題視されているが、「クラスター爆弾で被害を受けるのは日本国民。国民が爆弾で被害を受けるか、敵国に日本が占領されるか、どちらかを考えた時、防御手段をもっておくべきだ」述べた[39][40]。なお日本政府はこれ以降、クラスター爆弾に関する条約を批准するため、2008年11月28日の安全保障会議で自衛隊が保有するすべてのクラスター弾の廃棄を決定した。
歴史認識[編集]
空幕長就任前である2003年7月から2004年9月まで、航空自衛隊の隊内誌『鵬友』[注 3]での連載「航空自衛隊を元気にする10の提言」[注 4]にて、「東京裁判は誤りであった」「南京大虐殺があったと思い込まされている」とする主張を掲載。
自著『自らの身は顧みず』にて、「私は心底国家国民の将来を思って、問題とされる論文を書いた。今の自虐史観が払拭されなければこの国は駄目になってしまうという危機感を抱いている。しかし私の国家国民への熱い思いへの回答は、私の更迭というものであった。そして保守政党『自由民主党』は、またも保守政党から遠い政党になってしまった。また少し左に寄ってしまった。自民党は、今後さらに強力に村山談話を奉っていくことになるだろう。しかしそれでも私はこの国の将来に希望を捨てていない」と述べた[41]。
- - 田母神俊雄公式サイト・ホーム (tamogami-toshio.jp)
- お問い合わせからメールしました。
- 絶滅危惧種の生き物が増えているようですが、天然のメダカが農業用用水路にもどる事を願っています。お名前が田母神さんなので、ご協力願えないかと思っています。絶滅危惧種をどう考えられるかお考えをお聞かせ願えないでしょうか?よろしくお願いします。