衣326-1トリニティアイリッシュダンスに涙

衣326-1トリニティアイリッシュダンスに涙

中国雑技団とシルク・ドゥ・ソレイユを思ったら

トリニティアイリッシュダンスも思いました。

でもこれはちょっとオリンピックとは遠い気もするけど、その歴史に涙です。

 

そういえばアメリカの大統領

トランプさんもバイデンさんもアイルランド系でしたか?

ああ、もう一度南北戦争の「風と共に去りぬ」の映画が観たくなりました。

http://trinity-japantour.com/irishdance

アイリッシュダンスについて
多くの人にとって決して馴染み深いとは言えないアイルランド
にもかかわらず、アイリッシュ・ダンスはなぜこんなに人を感動させるのでしょう?
ここではその背景に迫ってみました。

 

アイリッシュ・ダンスの歴史は、イングランドによるアイルランド支配の歴史と非常に密接な関係があります。16世紀にその支配が始まると、アイルランドの伝統的文化活動が一切禁じられるようになりました。厳しい統制は約400年も続きましたが、皮肉にもこうした逆境の中でアイリッシュ・ダンスの原型が生まれ、発展することとなります。
民族楽器の演奏が禁止されてから、伝統的なアイルランド音楽の旋律は家の中でひそかに歌い継がれ、またそのリズムは暖炉の火が静かに燃えるその前で、足を踏み鳴らすことによって、親から子へとこっそりと伝えられるようになりました。最初は1つのステップに対して2つのステップで応えるシンプルな踊りから始まりましたが、年を経て、複雑なリズムパターンを伴う芸術性を有した舞踊へと進化します。
長い支配に苦しむ中、アイルランドの人々は強い民族的精神を内に秘めながら、静かに大地を踏み鳴らし続けてきました。それは、彼らがそのアイデンティティを守るための、非常に地道な抵抗運動の歴史と言ってもよいでしょう。
アイルランド文化の復権とダンスの普及
1800年代後半にその支配が解かれると、アイルランド復興運動が起こり、アイルランド人は彼ら独自の文化の建て直しを図りました。長い抑圧から解放された反動から、ステップ・ダンスは爆発的な進化と広がりを見せます。
国内では数多くの競技会が開かれるようになり、競技会に勝つためのダンスの技術的な進歩は極めて目覚ましいものがありました。
また一方で1900年代の初頭にアメリカに渡ったアイルランド移民により、アイリッシュ・ダンスは国境を越えて普及することとなったのです(タイタニック号の沈没事件は1912年のことですが、映画「タイタニック」でアイルランド系移民の役を演じたレオナルド・ディカプリオが、3等客船の中でタップダンスを踊っていたシーンはまさに象徴的です)。
アイルランド系移民の試練と進出
新大陸に夢を馳せ、渡米したものの、移民の多くは雇用に恵まれず貧しい生活を送りました。多くのオフィスの軒先には「アイルランド系移民の応募はお断り」と看板がかけられ、民族的な差別を受けます。しかしその結果、彼らは当時移民にも門戸が広かったショウ・ビジネスの世界を目指すようになりました。多くの移民がダンサーとして各地の劇場で才能を発揮し活躍し始めると共に、優れたアイリッシュ・ダンサーが次々とブロードウェイに進出し、脚光を浴びるようになったのです。

 

アイリッシュ・ダンスの発展
ショウとして人々の注目を集めるようになると、その衣装もきらびやかなものになっていきます。当初ドレスのデザインは伝統的なアイルランドのシンボルであるタラ・ブローチやケルト柄をワンポイントとして刺繍したものが多かったのですが、のちにはケルト幾何学的文様を大きく前面に押し出してその民族性をより強調したり、女性ダンサーの場合は華やかなティアラやウィッグ(カーリーのかつら。以前はパフォーマンスの度に髪を巻いていたが、競技会やショウが多くなったことでこれを利用するダンサーも増えている)によってその美しさをアピールしています。
また競技会においても、舞踊の技術のみならず、ドレスの跳ね具合や襟元、袖、アクセサリー、化粧や表情、そして脚の色(健康的かどうか)さえも評価の対象となってきました。ステップやそこから生まれるリズムの正確さに加え、高度なファッション感覚、そして内面から出る人間的な健康美が高いレベルで融合し、芸術として表現できるダンサーにのみ、最高の評価が与えられるようになったのです。
ちなみに、「島のケルト」と言われたアイルランド地方では、ケルト芸術が様式美を深く追求して4世紀後半から8世紀末にかけて未曾有の発達を見せましたが、彼らが伝統的に持つ美的感覚が、現代アイリッシュ・ダンスの進化にも大きく貢献したわけです。
結果としてアイリッシュ・ダンスは、もはや踊りや音楽といったジャンルを超え、総合芸術にまで昇華しました。
歴史への勝利、地球との共生
地方の一舞踊に過ぎなかったアイリッシュ・ダンスがこうして世界中の人々に親しまれて広く普及したのも、彼らの背負ってきた歴史やメンタリティと無関係ではありません。
上半身の無駄な動きを一切廃しストイックなまでに足のステップで全てを表現しようとするその動きは、イングランドによる長い支配やアメリカで受けた民族差別に対する辛抱、また強靭な精神力を想像させますし、地面に対して常に垂直に踊り、大地と対話しながらリズムを紡ぎだすそのスタイルは、大自然の中で生きてきた彼らの、地球に対する誠実さを想起させます。
耳を傾けて下さい。一つ一つのステップには、そんな彼らの忍耐強く実直な精神が全て込められています。歴史に対する勝利、そして大いなる地球との共生が高らかにうたわれ響く時、またそうした崇高な魂が芸術と融合した時、私たちはそこに究極の美をみとめ、どこまでも深い感動を覚えるのです。