衣852関係 われわれの8・9

衣852関係 われわれの8・9

 

長崎原爆は8月9日

 

長中では、一部戸町トンネル工場に配置された生徒を除いて、全員八月九日から学校工場(爆心地より4キロほど)にもどることになる。

幸町工場(爆心地より1.8キロほど)にいたら、われわれは大被害をこうむっていたでしょうとあります。

 

長中では空襲の関係で幸町工場が過剰人員になってしまうから学校工場に戻してくれと飽の浦の工場統括事務所とねばりづよく交渉

 

最初は一度決定した海軍監督官の承認をうけた人員配置は動かせないといっていた工場側も折れて学校工場再配置を許す

8月9日からで間一髪凄く良かったと思います。

他の学校では被害のひどい所もありました。爆心地に近い事もあると思います。

占領軍総司令部(GHQ)は九月六日、広島・長崎で、死ぬべき者は死んでしまい、現在原爆放射能に苦しむ者は皆無だと声明をだす。

 

死ぬべき者は死んでしまい

とは、どういう意味なのか?!

広島も同じだったでしょうが、長崎についていえば、原爆症や傷が治った人が「皆無」

 

米軍は原爆の効果は誇示しても、人間への長引く後遺症は隠蔽してしまいたかったのでしょう。

とあります。

 

私の歯の接着材問題も思います。

 

建物の接着材、衣料、染料の接着材

目に見えない電磁波スモッグ

 

考え中