衣953-1-1-1瑞梅寺ダム管理出張所の吉富さんと電話

衣953-1-1-1瑞梅寺ダム管理出張所の吉富さんと電話

立ち入り禁止の看板問題の電話をしました。

 

吉冨さんは平成30年は陣屋ダム管理事務所にいらっしゃいました。

田川郡添田町大字中元寺778-99

こちらは工業用水もあるところです。

 

昨日、瑞梅寺ダムの帰り道の途中に墓地があって、車の中から手を合わせ

ダム工事ではなくなった人もいらっしゃるかもしれないから、お参りするの忘れたと

ダムの方も向いて手を合わせていると

父が、ダム工事では必ず死人が出ると言った話をすると

吉富さんは、瑞梅寺ダムの工事では死人は出ていません。

亡くなった人がいる所には慰霊碑があります。との事でした。

 

県の職員さんで20代くらいでダム工事で怪我して、その怪我の輸血がもとで肝炎になられて70代前半くらいで亡くなられ、息子さんはダムには関係ないけど若いときから糖尿病で61歳で亡くなられた人いらっしゃいます。

県職員のお父様は小泉総理の時に紫綬褒章(しじゅほうしょう)をもらわれていたようです。

 

福岡県庁では、県土整備部の河川管理課が担当

山本晋也監督じゃなくて

ウィキペディア見てみると

中学時代から落語が好きで寄席に通っていた[1]早稲田高等学校を経て、1963年日本大学芸術学部演劇学科に入学。学生運動が激しかった時代だが、山本は当時、右翼学生の立場だったという。後に視野が広がり、左派的な平和主義の立場にかわっている。日大を卒業後、日本教育テレビ(現:テレビ朝日)アシスタントディレクターを務めた後、1964年岩波映画製作所にて羽仁進に師事して助監督となる[2]。初監督作品は成人映画の『狂い咲き』(1965年)で、以後多数のピンク映画作品を手がける[3]1960年代から1970年代にかけて、約250本の作品を撮影した[4]

中でも「未亡人下宿」シリーズは外部買取作品ながらもにっかつのドル箱作品となり続編も作られ、ピンク映画のヒットメーカーとして一躍脚光を浴びる。ピンク映画から一般映画に進出した先駆者の一人であり、その喜劇演出は助監督だった滝田洋二郎にも影響を与えたといわれるが、その後タレント業が中心となったこともあって、映画監督としての体系的な評価はまだ十分に行われていない。高橋伴明若松孝二らの作品が評価されているのに対し、山本の作品はDVD化が少なく、正当に評価されていない。

山本晋也技術主査は平成30年は

農林水産部 漁港整備係の技術主査

 

すみません、山本晋也監督と山本晋也技術主査は何の関係もありません。

 

それから、吉冨さんは

以前刑事裁判傍聴した事件を思い出します。↓吉冨さんとは何の関係もありませんが。

 

私は吉富さんに冤罪かもと思い面会させていただきましたが、もういいとかいう感じでした。

 

伊万里市母子殺人事件:元交際相手の吉富和彦容疑者を再逮捕 乳児の殺害容疑で

佐賀県伊万里市で今年1月、志賀勝美さん=当時(28)=と和音(かずと)くん=当時(7カ月)=の遺体が見つかった事件で、福岡県警は12日、志賀さんの元交際相手である無職・吉富(よしどみ)和彦容疑者(47)=伊万里市二里町=を、和音くんに対する殺人容疑で再逮捕した。吉富容疑者は志賀さんへ対する殺人容疑で既に逮捕・起訴されており、和音くんの殺害についても容疑を認めているという。朝日新聞などが伝えた。

同紙によると、吉富容疑者は約12年前の2004年12月ごろ、当時交際してい志賀さんの久留米市にある自宅で、志賀さんとの間に生まれた和音くんをひものようなもので絞めるなどして殺した疑いが持たれている。吉富容疑者は当時、別の女性と結婚しており、志賀さんから結婚を迫られたため2人を殺害したと話しているという。

毎日新聞によると、吉富容疑者は当時、久留米市の志賀さん宅で志賀さんと和音くんの3人で暮らしていた。和音くんは04年5月に生まれていたという。

志賀さんと和音くんの遺体は今年1月、吉富容疑者の自宅に近いあぜ道で埋められた状態で見つかった。吉富容疑者は、志賀さんを包丁で刺して殺害したとして、2月に殺人容疑で逮捕されていたが、和音くんとみられる遺体は損傷が激しく、身元や死因が特定できないでいたが、DNA鑑定で志賀さんとの親子関係を確認したという。