衣383人事院総裁、川本裕子さん
改革の思い貫く
の新聞記事
東大出で勉強は二の次
もう少し勉強しておけばよかった
卒業後の明確な計画もないまま、花嫁修業でお料理学校に通ったりもされたそうです、
川本裕子さんてどんな人?
ってウィキペディア見てみると↓
その前に、もう一度、記事
お父様
1950年代のモータリゼーションの波に乗って成功した起業家
軽飛行機を操縦し、ゴルフのハンディ4、自由で豪快な人、「仕事は段取り」とよく言ってあったそうです、
お母様
専業主婦、運動神経抜群、お料理と車の運転が得意、
両親とも外交的で来客の多いにぎやかな家
学生時代は、裕子さんが不在中に友人たちが家でご飯を食べてることもよくあった、
沢田塾という中学生の英語塾に通い、短時間で大学レベルの問題を解いてしまう生徒の一群がいて、その頭脳明晰さに圧倒され、後に夫となる川本明さんや、夫の現在の仕事の同僚の中村彰利さん(アスパラントグループ代表)、東大教授の岡崎哲二さんもそのメンバーたったそうです、
高校は受験して東京教育大付属高校(現・筑波大学付属高校)
高校はわくわくする新しい世界だったそうで
先生も生徒もとにかく柔軟で、発想が自由、興味が広い
フランス革命だけを1年間教える世界史、
哲学のような物理、
難しい英語の原書講読たど
授業は縦横無尽で楽しいものだったそうです、
(東大の受験勉強は?)
東大の文科3類だったそうです、
東大は
フロン1500トン以上漏れてましたよ!