衣809大田(テジョン)は大牟田じゃなくて韓国の大田直轄市(現:大田広域市)儒城区
↑の書類来ました、
終戦間際、
空襲も激しかったのですね、
↑亡くなられた方のご冥福をお祈りします、
↓大田とあって大牟田の間違いかと思ったら、韓国の大田(テジョン)でした、
ウィキペディアより
大田国際博覧会(テジョンこくさいはくらんかい, The Taejon[注釈 1] International Exposition, Expo'93)は、1993年8月7日から11月7日まで、大韓民国の大田直轄市(現:大田広域市)儒城区で開催された国際博覧会(万博。国際博覧会条約における特別博覧会)である。この項目のタイトルである「大田国際博覧会」の呼称は、日本館の出展を担当した日本貿易振興会(現:日本貿易振興機構)の報告書などが使用したもので、韓国内での正式名称は「大田世界博覧会」(ハングル: 대전 세계 박람회)である。「大田エキスポ」(ハングル: 대전 엑스포)[注釈 2]の略称も使用されることが多い。
日本館編集
日本の出展テーマは「共生の時代を拓く-人・自然・技術の共存を目指して」だった。形状記憶合金で造られた椿の花木。3人の陶工ロボットが置かれた、日本の標準的な陶磁器の窯元の作業場を再現したコーナー。盲導犬ロボット、極限作業ロボットなどが展示された。
陶工の展示コーナーについては、文禄・慶長の役における陶工の強制連行のイメージにつながって、韓国民の感情を逆なでするのではないかとの懸念が、計画の策定段階で相次いだ。総合プロデューサーの平野繁臣、通商産業省、日本貿易振興会は、韓国内の有識者と意見聴衆を実施した。韓国側の反応では、日本は陶磁器の技術を中国から韓国を経由して学んだことを、明確に表現している点は好感をもてる。陶磁器を展示素材に取り上げると、陶工の強制連行を思い出させ、日本に対する悪感情を誘発することにならないかという貴国内の意見は全くの杞憂である。韓国民は陶磁器の技術を日本に伝えたことに誇りを持っているなど、好意的な意見が相次いだ[17]。
2台あった盲導犬ロボットのうち1台、椿の花などは、1994年の世界祝祭博覧会協会に売却された。陶工ロボットは、1996年の世界・焱の博覧会実行委員会に売却された[8]。
平野繁臣の息子である平野暁臣は、「大田万博の会場で眼にした韓国民の表情をぼくはいまも忘れることができません。(中略)誇らしそうな表情で『よい冥土の土産ができた』と話してくれた老婆の笑顔を思い出します」と証言した[18]。