衣821『烈度』戦死、軍人自殺、問題
8月15日は日本では終戦記念日で重要な日
韓国でも、ヨーロッパだったかな、大事な日とのこと
その日の新聞
もう一度、読んでみた
『烈度』って何?
って辞書で調べると、ない?
しゅうそうれつじつ
【秋霜烈日】
秋の冷たい霜と夏の烈(はげ)しい日光。権威・刑罰などが非常にきびしいたとえ。
ー
関係ないけど、この日の朝日新聞1面の記事
黒井秋夫さんが18年、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げられたお話
https://www.ptsd-nihonhei.com/
18年て2018年のことかなあ?最近ですよね、
https://www.ptsd-nihonhei.com/about-website/
父は無口で第2次大戦の従軍体験には口を閉ざし続けました。
復員後の父は一つの仕事が続かなかった。主に工事現場を渡り歩く出稼ぎ労働者だったが失業保険の給付対象期間だけ働くと仕事を辞め給付が終わると次の現場に向かった。失業保険に頼らず継続して仕事をすればゆとりある生活ができたはずだがそうはせず家は貧しかった。しなかったのか、できなかったのか。
一つの答えがある。「戦争神経症」、戦争のトラウマ・PTSDがそうさせたのではないか。
父は戦争体験のPTSDで精神を病み戦後社会に順応できなかったのではなかったのか!
ベトナム戦争で米兵が戦争体験のトラウマから3割~5割の兵士がアメリカ社会に復帰順応できないという。
日本軍兵士の研究者が最近出版した書籍で米兵と同じように「戦争神経症」に侵され兵士にも戻れず社会復帰もできない日本兵が存在したことを明らかにしています。しかし長い間、PTSDの日本兵の存在は隠され、兵士の家族でさえ(父や夫が)PTSDに侵されていると気付かずに暮らしたのです。
戦争は兵士を傷つけるだけでは終わらない。その後暮らした家族の生活にも大きな影響があったのだ。
第2次大戦に従軍した兵士のほとんどは亡くなり声は上げられない。その子供達も70才代に差し掛かっている。
このまま声を上げなかったらPTSDに侵された日本軍兵士がいた事は陽の目を見ることなく日本の歴史から永遠の闇に消えるだろう。
イラクに派遣された自衛隊員にもPTSDの隊員が出ています。帰国後に29名が自ら命を絶ちました。残された隊員家族の生活を考えてみましょう。悲劇を繰り返していいのでしょうか。
語られなかった復員日本兵・父たちの思いを掘り起こし、無念であったろう父たちの心の叫びを世に出したい。
そんな思いから「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が発足しました。
交流しましょう。語り合いましょう。広げましょう。次世代に繋いでいきましょう!
2018年1月17日
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」設立人
黒井秋夫
ー
やっぱり、2018年
2018年では29人が自殺され
えっ、新聞では56人
03年から15年までだから18年でも29人じゃないとおかしい?!
ー
「メンタルヘルス企画官」って何するのかなあ?
ー
私は歯科で薬害にあったと思ってて、虫歯の治療で接着剤のスーパーボンドが漏れて、主成分はメタクリル酸メチル、この接着力が半端ない、10年以上たってもしつこい、
薬害主張から薬害、公害問題に目覚め、沢山の問題があることを知り、最近は宇宙人のぷあパラ問題を考え、
兎に角、活動関係から、警察に捕まったり、精神病院に入れられたり、
向精神薬の副作用のキツさは自殺もの
死んだほうがましだという状況が薬を止めて1年以上続いて、とてもきつかったです、
私のいとこも子どもを産んでから精神病院入院になり、回復するどころか、自殺を図り死にきれず、長期入院になり50代で亡くなってます、
回復しないで、きついまま長期入院なら、死ねたほうが良かったのではないかと思ったりします、