衣862-3-3攻めの農政から「安倍総理、日本国万歳」

衣862-3-3攻めの農政から「安倍総理、日本国万歳」

「農家所得倍増計画」を掲げてあり、

 

所得倍増計画」及び池田内閣の下での1961年(昭和36年)制定の「農業基本法」が掲げた「農工間の所得格差是正」という目標を一貫して参考にしていた[7]。

私は農業でどうやって食べていくか?という話を最近聞きました、農業自給率は減ってるし、農業をやりやすくする土地改良区は借金が増えてます、

 

自殺されて、安倍総理へのお手紙の最後が

安倍総理、日本国万歳」

だったそうで、その後、安倍総理も殺害され、今の日本を思うにつけ、お疲れ様でした、そして改めて、ご冥福をお祈り申し上げます、

政策編集
日本食の認証制度編集
海外の日本食レストランに対する認証制度の導入を発案。2006年11月に「海外日本食レストランへの信頼度を高め、農林水産物の輸出促進を図るとともに、日本の正しい食文化の普及や我が国食品産業の海外進出を後押しすること等を目的」[4]として、農林水産省「海外における日本食レストランの認証制度を創設するための有識者会議」を立ち上げた[注 3]。

松岡は同会議の設置に際し、この制度の導入について「海外在留邦人の日本食への理解の向上」「日本文化への関心の向上」「農林水産物や加工食品の輸出促進」「食品産業の国外進出推進」「日本への外国人観光客の増加」といったメリットを指摘した[5]。

 

2007年1月11日)
第1次安倍内閣発足時の記者会見で松岡は「私は日本の農業には未来があると考えています。そのためには、日本の農産物の輸出を促進するべきだと。これまでは『工業が攻め、農業は守り』だったんですが、これからはそれではいけない」と強調し、従来の政策からの転換を表明。日本の農林水産物の対外輸出促進、バイオマス利用の加速、担い手主体の経営構造の実現などを謳った「攻めの農政」を政策として掲げ[6]、農林水産大臣として精力的に活動した。2007年1月に訪米し、ジョージ・W・ブッシュ大統領政権下のアメリカ合衆国農務長官マイク・ジョハンズと会談、世界貿易機関(WTO)交渉などに関する意見交換を行った。松岡が最終的に実現しようとした政策目標は「農家所得倍増計画」であった[7]。政治家としての松岡は、池田勇人政権の「所得倍増計画」及び池田内閣の下での1961年(昭和36年)制定の「農業基本法」が掲げた「農工間の所得格差是正」という目標を一貫して参考にしていた[7]。

(農業でどうやって食べていくか?という話を最近聞きました、農業自給率は減ってるし、農業をやりやすくする土地改良区は借金が増えてます、)

主な所属していた団体・議員連盟編集
神道政治連盟国会議員懇談会
日中緑化推進議員連盟(会長代理)
日韓議員連盟
日朝友好議員連盟
再チャレンジ支援議員連盟
日本の危機を救い真の改革を実現し、明るい未来を創造する議員連盟(未来創造議連)(代表幹事)

疑惑編集
事務所費の不透明な支出編集
松岡の資金管理団体松岡利勝新世紀政経懇話会」が、賃料が発生しない議員会館に主たる事務所を置きながら、事務所費として2003年に2,600万円超、2004年に3,100万円超、2005年は3,300万円超と極めて高額な支出を計上している。また、松岡の政治団体松岡利勝後援会」は菊陽町をはじめ4ヶ所に事務所を置いているが、事務所費として2005年に4,000万円を超える支出を計上している。

地元関係者からは、「後援会の事務所費に4,000万もの費用が発生するはずがなく『不自然』である」と指摘された[8][注 4]。

光熱水費問題編集
予算委員会での指摘と松岡の主張
2007年3月5日の参議院予算委員会において、参議院議員小川敏夫民主党)の質問により、松岡の資金管理団体松岡利勝新世紀政経懇話会」が、水道代、冷暖房費が無料である衆議院第一議員会館に「主たる事務所」を設置しているにもかかわらず、2005年に500万円超の「光熱水費」を計上していたことが発覚した[9]。小川は議員会館においては水道・電気・暖房等がすべて無償であると指摘した上で「どこで使用した光熱水費か?」と質問し、松岡は「当然のことながら、主たる事務所としてのその議員会館の関係について報告をしておる」「それはどういう金額でどうだということにつきましては、それは当然のことながら、こちらも承知をし了解をしたものとして報告をいたしております」「(光熱水費には)『何とか還元水』[注 5]とかそういったようなものを付けております。

(以下、長いので省略)

市民団体による刑事告発2007年4月1日、大阪府大阪市に所在地のある市民団体「政治資金オンブズマン」が、政治資金収支報告書に光熱水費を虚偽記載したとして、松岡利勝松岡利勝新世紀政経懇話会の会計責任者を政治資金規正法違反の疑い(収支報告書の虚偽記載など)で東京地方検察庁に告発した[18]。

 

自殺編集
2007年5月28日、衆議院議員宿舎(新赤坂宿舎)の自室(1102号室)で首を吊って心肺停止状態となっているところを発見され、搬送先の慶応義塾大学病院で死亡が確認された。満62歳。戦前・戦中の旧憲法下も含め、日本の内閣制度発足以後では2人目の現職閣僚の自殺であり、現職国務大臣の自殺は日本国憲法下の日本では初めてのことであった[注 2]。また当時は自殺総合対策会議の現職委員の一人でもあった。これについて安倍晋三首相(当時)は「道半ばで亡くなられたことは誠に痛恨の極みだ」と松岡の業績を振り返った[22]。

議員宿舎の部屋からは、当時の内閣総理大臣安倍晋三や元総理大臣秘書官の飯島勲、さらに一般の日本国民などに宛てた計8通の遺書が残されており、「私の不徳の致すところで申し訳ない。迷惑をおわび申し上げます」「身命をもって責任とお詫びにかえさせていただきます」などと書かれていた。これらのうち、内容が公表された安倍首相宛と国民宛の遺書には事務所費問題や談合事件への言及はなく、「安倍総理、日本国万歳」と締めくくられていた[注 6]。松岡の自殺を受けて、同日から同年6月1日までは環境大臣(当時)若林正俊が大臣臨時代理を兼任。その後、正式な後任には赤城徳彦が就任した[23]。

自殺直前の5月24日、松岡は新党大地代表の衆議院議員鈴木宗男と会食している[24]。鈴木によれば、その席で松岡は「(疑惑については)国対(当時の自民国対委員長二階俊博)から黙っていろと言われている」と述べたという。

5月26日には地元熊本県に一時帰郷し、後援会の関係者と面会したり、高齢で一人暮らしの継母が居住する実家を訪問し、両親の墓参りをしたとされている。

松岡は日本中央競馬会の主管官庁の長として、2007年5月27日開催の第74回日本ダービー皇太子徳仁親王安倍晋三首相夫妻を招待していたが、応接に当たるはずだった松岡は当日になって欠席している。

松岡は東京都新宿区の慶應義塾大学病院に搬送された。同病院で入院治療中だった歌手坂井泉水が敷地内で転落し、前日の27日午後に死亡していたことが明らかになっていたため、すでに多くの報道陣が同病院に詰め掛けていた。その結果、現場となった議員宿舎から病院に松岡が運び込まれる映像までが偶然にも各マスコミにより報道されることとなった。