衣862-3-1安倍総理の突然の退陣問題、

衣862-3-1安倍総理の突然の退陣問題、

 

戦後レジームを根本的に見直す」

所信表明から突然の退陣て、安倍総理は2度総理大臣されて最初の時だと思うけど、改造内閣の所信表明かなあ?

 

ウィキペディアより↓

 

同年8月27日、内閣改造、党役員人事に着手した(第1次安倍改造内閣)。ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き、求心力を失う。

同年9月9日、オーストラリア・シドニーで開催された APECアジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し9月10日からの臨時国会自衛隊へ給油が継続ができなくなった場合は、内閣総辞職することを公約した。この間も安倍の健康状態は好転せず、体調不良により APEC の諸行事に出席できない状況となり、晩餐会前の演奏会を欠席した[50]。

同年9月10日、第168回国会が開会。安倍は所信表明演説の中で「職責を全うする」という趣旨の決意を表明した。この表明で自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、スローガン「美しい国」は結びに一度使ったのみであった[注釈 6]。

同年9月12日午後2時、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と退陣を表明する記者会見を急遽行った[52]。また、理由についてはテロとの戦いを継続する上では自ら辞任するべきと判断したとした[53]。これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。

翌9月13日、慶應義塾大学病院に緊急入院。検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると医師団が発表した。9月20日付の安倍内閣メールマガジンは「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とメッセージを配信し、終了した[54]。

病院側は、安倍首相の容体は回復してきているものの退院できる状態ではないとした[注釈 7]。9月21日は安倍の53歳となる誕生日だが、病院で誕生日を迎えることになった[55]。このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と内閣総理大臣臨時代理は置く予定はないという方針をとっていた[56]。20日官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた[57][注釈 8]。

9月24日17時、慶應義塾大学病院にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「所信表明演説後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した[58]。さらに、首相としての公務に支障があったにもかかわらず臨時代理を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては、毎日新聞により、政府内でも批判の声があると報じられた[59]。

気になる所↓

同年4月3日、第1回「『美しい国づくり』企画会議」が開催され、安倍の理想を実現化するための「『美しい国づくり』プロジェクト」がスタートした[40][42]。

5月28日、以前から様々な疑惑のあった松岡利勝農水大臣が議員宿舎内で、首を吊って自殺[注釈 5]。6月1日、後任の農林大臣に赤城徳彦が就任。