衣964-2-1<大江健三郎・同時代ゲーム>

衣964-2-1<大江健三郎同時代ゲーム>

ウィキペディアありました、

 

概要[編集]

新潮社より「純文学書下ろし特別作品」シリーズの一冊として出版され、函には以下のような著者のメッセージが記された。

「古代から現代にいたる神話と歴史を、ひとつの夢の環にとじこめるように描く。場所は大きい森のなかの村だが、そこは国家でもあり、それを超えて小宇宙でもある。創造者であり破壊者である巨人が、あらゆる局面に立ちあっている。
語り手がそれを妹に書く手紙の、語りの情熱のみをリアリティーの保証とする。僕はそうした方法的な意図からはじめたが、しかしもっとも懐かしい小説となったと思う。 著者」

文化人類学者の山口昌男の著作、特に『文化と両義性』、そして当時、山口らが日本に新しく紹介していたミハイル・バフチンなどの文化理論の影響を受けている[2]。大江はこのことについて、必ずしも肯定的にのみ捉えておらず、後年のインタビューで「新しい文学理論や文化理論に夢中になっていて、自分が本を読んで面白いと思ったことを自分の本に書くという、閉じた回路に入っていた」「自分と海外のある作家たち、理論家たちとの間に、思い込みじみた通路を開いて、誰より書いている自分が愉しんでいる小説」であると述べている[3]

大江は、新潮社の「純文学書下ろし特別作品」シリーズで『個人的な体験』『洪水はわが魂に及び』と本作『同時代ゲーム』を発表して、いずれの作品もハードカヴァーで10万部を超えるベストセラーとなっている。しかし講演会などの機会に読者と直に会って話すと、本作は「どうも読者にうまく通じていない、理解されていない」という感触を受けたという。『同時代ゲーム」の世界をどう読者に届けるかということがテーマとなり、短編集『いかに木を殺すか[4]。『M/Tと森のフシギの物語』などの創作の試行錯誤が始まる。本作について「もっと(わかりやすく)別のかたちに書けば、私の読者との関係の、ありえたかもしれない回復のチャンスだったと思う」と考えると同時に、「しかし、あのかたちでの『同時代ゲーム』があって、それ以後の私の文学があった。読者は失ったが、私は狭い場所の作家としては生き延び(た)」とも考えているという。また、「しかし私の好きな作家たちは皆、グラスにしろリョサにしろ、ああした大盤振る舞いのような大作の仕事に入っていたんですよ。私も落着いてはいられませんでした。血気にはやるというか(笑)」とも述べている[5]

 

表題[編集]

同時代ゲーム』という表題について、単行本に封入された加賀乙彦との対談「現代文明を諷刺する」において大江本人は以下の様に述べている。

「誤解をおそれずに言えば、共同の無意識の中の原点にあって、外側からみると歪んでいるけれども、中にいる者にとってみれば、過去も未来も含めて、全体が一挙に見渡し得るような、時間×空間のユニットを組み立てたかったわけです。僕は、小説を書くことは、同時代についてのそのようなゲームを組み立てることじゃないかと思う。そのようにして全世界の自分のモデルを作ること。そこで『同時代ゲーム』というタイトルは、僕には「小説」というタイトルにひとしいわけですね。」