衣114-2杉田玄白『解体新書』

衣114-2杉田玄白『解体新書』

私のマンガの歴史書には

 

1774年◉ 杉田玄白ら『解体新書』

1776年 ◉平賀源内、エレキテルを実験する。

 

とありますが、

養老孟司先生のコラムには『解体新書』は出てこない?

 

解体新書といえば、

「宇宙人と地球人の解体新書)

88次元Fa-Aドクタードルフィン松久正先生

 

是非、「ニホンという病」のお二人の医師

養老孟司先生も名越康文先生も

88次元Fa-Aドクタードルフィン養老孟司先生

88次元Fa-Aドクタードルフィン名越康文先生

としての本も出して頂きたいです。

 

玄白先生の「蘭学事始

ウィキペディアによると

蘭学事始』(らんがくことはじめ)は、文化12年(1815年)、83歳の杉田玄白蘭学草創の当時を回想して記し、大槻玄沢に送った手記。上下2編。当初は『蘭東事始らんとうことはじめ 』という題名であった。その他にも『和蘭事始わらんことはじめ 』とする記録がある。日本における蘭学導入草創期の経緯が現場にいた者の目で描かれている。

経緯編集
高齢になった日本蘭学の先駆者・杉田玄白は、自身の死後に蘭学草創期の史実が後世に誤り伝わることを懸念し、自らの記憶する当時のことを書き残そうと決意した。文化11年(1814年)にいちおう書き終わり、高弟の大槻玄沢に校訂させ、文化12年(1815年)に完成を見る。

本書は玄白自筆の原稿本とその写本の2冊のみ書かれ、原稿本は杉田家に所蔵され、写本は玄沢に贈られた[1]。このとき玄白83歳。2年後の文化14年(1817年)に玄白は85歳で死去した。

その後、杉田家の原稿本は安政2年(1855年)の安政の大地震による杉田家の被災で失われる。また大槻家の写本もいつか散逸し、完全に失われたものとされて関係者から惜しまれていたが、幕末のころ神田孝平が湯島の露店(本てはニコライ聖堂裏の露天となっている)で偶然に大槻家の写本を見つけ[1]、明治2年(1869年)、玄白の曽孫の杉田廉卿による校正を経、福沢諭吉はじめ有志一同が『蘭学事始』(上下2巻)の題名で刊行した[1]。その後再発行を重ね、日本における西洋医学導入期の当事者による貴重な一次史料としてひろく一般に読まれるようになる。