衣246「聖書物語」P47から
般若心経 色即是空
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道徳経
道可道、非常道。
名可名、非常名。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E6%95%99
概要[編集]
道教は漢民族の伝統的な宗教とされる。中心概念の道(タオ)とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。道の字は辶(しんにょう)が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を表している。この道(タオ)と一体となる修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする。それはひとつの道に成ろうとしている。
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なんだか世の中さっぱりわからないので疲れてしまいました。
それで、「聖書物語」を読んで静かに生きていこうと思います。
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カエルを追っ払ってくれ。カエルがいなくなったら、ユダヤ人はエジプトをはなれてもよいと、ファラオは約束した。
ところがモーセの命令でカエルがいなくなったとたん、ファラオは約束をわすれてしまいました。
つぎに、ハエの大群が発生し、国中をとびまわって、エジプト人の食べものをくさらせました。
そのせいで死ぬ人もいた。
ファラオは、すこしゆずるきになっで、モーセにいった。
ユダヤ人は短い間なら砂漠に行って、自分たちのやりかたで神にささげものをしていい。
それが終わったらエジプトにかえりなさい。
モーセがハエをとめると、ファラオはすぐに約束やぶる。
つぎに、エジプト人の牛が病気にかかり、食べる肉がなくなる。
そのつぎに男も女もからだじゅうにできものができて、医者にもなおせない。
つぎにひょうが降って、畑の作物が全滅。
つぎにかみなりが納屋に落ちる。
つぎにイナゴの大群で木がぼうずになる。葉っぱ一枚残ってない。
ファラオは、ちじみあがり、モーセを呼ぶ。
ユダヤ人はエジプトを出てもよい、子供は人質に置いていけ。
モーセことわる。
つぎに恐ろしい砂嵐、三日の間砂嵐で暗闇
ファラオ
「おまえの民をでていかせよう、だか羊はおいていけ」
「全部もっていきます。」
つぎにナイル川流域の一番上の子が死ぬ。
ユダヤ人の家族これをのがれる。
あらかじめ知らされていたので、ユダヤ人は家の戸のかもいに、子羊の血で赤くめじるしをつけておいた。
神の命を受けた死の天使は、このしるしがあるアブラハムの子孫の家は「過ぎ越して」ていった。
わざわいがつぎつぎと起こり、ファラオはようやく、王よりも強い力に自分が負けたとわかる。
そこでモーセにできるだけはやくユダヤ人をつれて出ていってほしいとたのむ。
12の部族は最後の食事をして、ヨルダン川の岸辺にある、むかし先祖が住んでいた地を目指して旅立つ。
けれどもファラオは、自分の息子をはじめたくさんの罪もない子供が死んだことへの復讐をしようと軍隊をひきいて追いかける。
紅海の近くでユダヤの隊列を見つける。
けれども雲の柱が立って(モーセは神ご自身であると信じる)ユダヤの人々のすがたをかくす。
朝早くモーセが命じると、紅海の水面がわれた。
ユダヤ人はかわいた地をわたり、ひとりの犠牲者もでなかつた。
雲がはれて、けわしい向こう岸をのぼっていく旅人たちをファラオは見る。
ファラオは先頭にたってあさい海に入る。
海面がふいにもとのように盛り上がったので、エジプト軍の全員が大波に飲み込まれた。
ユダヤ人は砂漠に入る。自由になる。けれども人々は、このあと40年、荒れ野をさまようことになる。
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過ぎ越し際↓ エジプトの子どもが死んで、ユダヤの子どもが助かるお話
アブラハムの子孫の家は「過ぎ越して」いった。過ぎ越しがよくわからない気もしますが、エジプトの子どももユダヤの子どももどちらも助かればよかったのにと思います。